lil69ili.com - THESIS 005

「古代の戦争」
< Kodai No Sensou >

"Ancient War"





日本語が読めない人は、『全自動翻訳機』をお使いください。
If you cannot read Japanese-Language, please use "Full Automatic Translation Machine."

英語が読めない人は、お近くの『大卒者』に聞いてください。
If you cannot read English-Language, please ask to your near place's "College Graduated Person."



<助言> ページが長いので、「ページ内のリンクの無い場所」をマウスでクリックしてから、キーボードの『方向キー』でスライドさせると便利です。




UPLOAD 2016/01/31





現代の戦争は、「人を殺すことに関して、ルールやモラルなど、考える必要などない」という『考え方』があって、『戦争を回避するための話し合い』もしないし、『宣戦布告』もしない。支離滅裂である。酷い場合は、「相手が誰なのかも分からない状態で殺し合いをしている」という戦争もある。そのわりには、戦争をやっている本人たちは、頭の中が、「アレクサンダーの戦い」とか、「三国志の戦い」になっている。

では、「古代の戦争は、どういう感じだったのか?」となると、歴史学者も、よく分からないわけだ。

今回は、そのことに関して、少しだけ、説明したい。ただし、「今後は、こうやって戦争をしろ」と、要求しているわけではない。古代の戦争は、「剣と弓矢の戦い」であり、近代戦争のような、「戦闘機」とか「ミサイル」で戦う戦争とは、戦争の種類が違うから、単純に比較することはできない、ということは、筆者も分かっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現代人は、

「古代人、イコール、レベルが低い人間。」

と、単純に信じ込んでいる。そもそも、それが間違っているわけである。この考え方に関しては、現代人に対して、明確に、理論で説明することができる。

現代人が信じている『宗教』というのは、すべて、「紀元前6世紀(ブッダ)」とか、「紀元1世紀(キリスト)」とか、「紀元7世紀(ムハンマド)」という、古代の人物が開祖である。ということは、もうその事実で、「古代人はレベルが低い」という考え方が間違っていることを証明できるであろう。「宗教の開祖以外の人間はレベルが低かった」という考え方もあるかも知れないが、普通、それは不自然な考え方だ。周囲の関係者や、書物の著者に優れた人物が多かったからこそ、彼らは聖者になれたのではないか?

実際、「紀元20世紀」とか、そういう、最近の時代で、ブッダやキリストやムハンマドに匹敵する人物は出現しなかった。

『戦争』もまた、現代人と、古代人とでは、考え方がまったく違う。

古代人は、むしろ、こういう考え方だった。

「人を殺す戦いだからこそ、『モラル [moral(道徳)]』と『マナー [manner(行儀)]』を守り、『ルール [rule(規則)]』を決めて、殺すべきである。」

それは、『戦争』だけでなく、『動物の屠殺(とさつ) [butchery]』【=畜殺(ちくさつ)。】でもそうだ。

現代の仏教では、

「古代の仏教では、僧侶に対して、動物や魚の肉を食べることが禁止されていた。」

と、信じられている。それは、「完全な間違い」というわけではないが、正しい認識ではない。そうではなく、

「僧侶に限らず、一般市民も、食べるために動物や魚を殺す場合、モラルやルールは守るべきである。」

と考えていた・・・・・いう認識が正しい。では、それは、具体的に、どういう内容なのか、となると、簡単に説明するのは不可能だが、少し紹介すると、

「殺すなら殺すで、なるべく無駄にしないようにする。」

というような意味である。つまり、「肉を食べた残り物である、皮の部分は、衣服にする」とか、そういう意味だ。

中国人が、鶏肉以外にも、「鶏の足」を食べることに関して、ヨーロッパ人は驚いているらしいが、やはり、そういう考え方から来ているのである。【日本人も、食べる人は少ない。】

「絶滅の危機に瀕(ひん)している動物は狩らない」というのは、現代人でも理解できる『マナー』であろう。

つまり、人間が人間を殺す『戦争』の場合、動物を殺すことよりも、多くのモラルと、多くのマナーと、多くのルールを決めていたわけである。

では、「古代の戦争は、具体的に、どういうモラルで、どういうマナーで、どういうルールだったのか?」ということが問題になるが、現代に存在する物を使って説明する場合、ちょうど良い物がある。

それは、スポーツの『ボクシング』である。

ただし、21世紀になってからのボクシングは、

「死亡事故を防ぐために、最初から『判定勝ち』を目標にして戦う。」

という、考え方が主流になってきたので、筆者の話は、それとは意味が違う。『テコンドー』は、パンチやキックで『得点』を重ねて、それで勝敗を決めるスポーツであるし、『柔道』もまた、『技あり』とか『効果』という『得点』で勝敗を決めるようになったので、『ボクシング』も、近い将来、テコンドー式の判定方法に変わるかも知れない。

私が言っているのは、「20世紀のボクシング」である。

20世紀のボクシングでは、

「試合中に、選手が死亡しても、(ルール違反が無かった場合、)殺人罪にはならない。」

という、『ルール』があった。つまり、「凶器を使う」とか、そういうルール違反が無かった場合、パンチによって選手が死亡しても、『殺人罪』にはならない。

だから、『対戦相手』を決める場合、「双方の実力」というのが、互角でなければならない。もし、その『予測』を間違えていて、試合が始まってから、パンチで選手が死亡しても、『殺人罪』にはならない。

つまり、選手は、対戦相手が決定してから、試合の日まで、

「自分のパンチで相手が死ぬかも知れないし、相手のパンチで自分が死ぬかも知れない。」

そういう『緊張感』というのを、ずっと持っていたわけである。

そして、試合当日のリング上では、

「敵の選手やセコンドが、『降参』をした場合、それ以上、パンチを打ってはならない。」

こういう『ルール』があった。もし、敵のセコンドがリング内に『白いタオル』を投げ入れて、「降参」を意思表示しているのに、パンチを打ち続けて死亡した場合、これは『殺人罪の容疑』が掛かる。

確かに、プロフェッショナルのボクサーが、シロウトさんの人間に、本気でパンチを打った場合、1発で死亡するのである。それは、『自動車開発の衝突実験用ダミー人形』で、測定すれば分かる。プロ・ボクサーのパンチは、普通の人間を殺せるくらいの破壊力を持っている。

つまり、試合の対戦相手の『設定』を、間違えていて、実力差が大きい場合、相手が死亡することもあるわけだ。しかし、試合の時間に、リングの上で、ルール違反が無かった場合、パンチで死亡しても、『殺人罪』にはならない。

このように、『ボクシング』という、一つのスポーツを説明するだけでも、かなり難しい。

『古代の戦争』は、このようなスポーツに似ている。東洋文明における『武道(ぶどう) [martial arts(マーシャル・アーツ)]』というのは、『古代の戦争』における『技術』であると同時に、『マナー』でもある。

つまり、『中国拳法』とか、古代日本国の『剣術』などの『マーシャル・アーツ』というのは、『戦争』における『技術』であり、そして、『マナー』でもある。

そして、その『マナー』というのは、『囲碁』や『象棋(シャンチー)』【=中国将棋。】や『日本将棋』でも、同じなのだ。『マーシャル・アーツ』と、『囲碁』『象棋』『日本将棋』という『ウォー・シミュレーション・ボードゲーム [war simulation board game]』は、マナーが同じなのだ。

それは、西洋における『古代の戦争』と、『チェス』も、同じことだ。古代における『騎士道(きしどう) [chivalry]』というのは、「戦争で勝つ」ということが目的の『精神』ではない。西洋には『騎士道』があったが、東洋にも『武士道(ぶしどう)』というものがあった。

『マーシャル・アーツ』と、『ウォー・シミュレーション・ボードゲーム』は、マナーが同じなのだ。『マーシャル・アーツ』は、

「戦争は、どういう手順とルールで行なわれるのか?」

これを、武士たちに教えるための『教科書』なのである。

大昔の物語で、

「戦争が終わったあと、勝った武士が、自分が殺した相手の武士の、冥福を祈った。」

というような話は多い。上杉謙信は、食事の最中、自分の部下から、武田信玄が病気で死んだことを聞いたとき、箸を置いて、「惜しい人を亡くした」と、悲しんだという。現代人が聞くと、「その話が本当なら、心理状態が理解できない」と言うだろう。

そういう『武士の心理状態』というのは、『武道』を理解していないと、100%理解することは不可能である。また、古代中国の物語の場合は、『武道』の他にも、更に『儒教』という宗教を理解していないと、何をやっているのか理解できないのである。

「戦場で、双方の軍隊が横に一列に並んで、最後の話し合いをする」というのも、それもまた、『古代戦争のルール』だった。敵と味方の戦力を見て、そこで、戦力の少ない側が、「降参する」と申し出た場合、戦争をしてはならないし、また、「降参する」と言って戦力の多いほうを油断させておいて少ないほうが奇襲攻撃する・・・・・ということも、ルール違反である。

古代の戦争の物語をたくさん知っている筆者が、現代の戦争を見ると、「支離滅裂」という感じであり、格好いいとは思わない。

つまり、古代、「戦場に集まった軍隊」というのは、「リンクに上がったボクサー」なのだ。敵が降参したら、それ以上、攻撃を続けるのは『ルール違反』である。

『マーシャル・アーツ』の話は、きりがないので、今回は、この当たりでやめておく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今の日本人の男は、例えで説明すると、試合前に、敵のボクサーが控室で飲む飲料の中に睡眠薬を混ぜて、それで試合で勝って、

「どれだけ汚(きたな)い手を使っても、勝ちは勝ちだ。」

と、自己満足しているのである。そのわりには、彼らの頭の中は、伝説の剣術家:『宮本武蔵(みやもと・むさし)』になっているのである。






ADMIN MEMO


NEW PAGE <THESIS 005> 2016.01.31.1840-2040 /// 2140-2230 ||| 01.31.2230 UP |||