lil69ili.com - THESIS 009

「日本人の戦争観」
< Nihonjin No Sensoukan >

"Japanese People's Outlook About War"





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UPLOAD 2016/03/03





今回は、第二次世界大戦の話なので、かなり長い文章になると思う。ただし、全体のほとんどは、戦争の話ではなく、『日本国の学校教育』の話である。

筆者は、かなり以前から、一度、インターネットで論じたいと思っていた問題があった。『現代の日本人たちの、第二次世界大戦に対する感覚』と、そして、『自分が、どういう目的で、第二次世界大戦の研究を続けているのか?』という理由である。

去年は、「戦後70周年」ということで、『マスメディア [mass media](大衆媒体)』 【テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など。『マスコミ [mass communication media](大衆伝達媒体)』とも言う。】 においても、太平洋戦争に関する話が、例年よりは多くの時間を使って取り上げられていた。しかし、それらは、ほとんど全部、

◆空襲で犠牲になった人々の苦しみ、戦争に対する憎しみ。

◆沖縄戦で犠牲になった民間人の悲劇。

◆原子爆弾が投下された、広島市、長崎市の惨劇

こういった種類のドキュメンタリーである。

筆者が、第二次世界大戦に関して、他人と話し合うとき、話題にしたいと思っていることは、そういう内容の話ではない。

「どういう理由で、軍人たちは、戦争に参加していたのか?」

そういうことだ。なぜか、それは、マスメディアでは、取り上げない。「元日本帝国軍の軍人」を名乗る人に、報道機関の記者が聞いても、「自分も無理やり『召集令状』を送り付けられて、戦争に参加させられた、戦争の犠牲者だ」としか、答えない。

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まず最初に、『第二次世界大戦』と、『太平洋戦争』と、『日中戦争』は、すべて意味が違うのだということを、説明しておきたい。日本人は、この三つの戦争を、混同しているからだ。

時期的な説明をすると、期間は、こうである。今の日本人は、この知識すらも、持っていない。『日中戦争 [Second Sino-Japanese War] (A.D.1937-1945)』のことを、『日清戦争 [First Sino-Japanese War] (A.D.1894-1895)』と勘違いして、「日本が勝った戦争だ」と思い込んでいる人も、けっこう多い。

@『日中戦争 [Second Sino-Japanese War]』

..... 1937年から1945年。日本帝国軍が、中華民国に攻め込んだ戦争。 【『日本帝国』の、日本語における正式名称は、『大日本帝国(だい・にほん・ていこく)(だい・にっぽん・ていこく)』。英語では、一般的には、『Empire of Japan』と表記する。】

<起点>1937年7月7日。盧溝橋事件(ろこうきょう・じけん)。

<終点>1945年9月9日。南京市において、日本帝国が、中華民国に対する降伏文書に調印。


【ウィキペディア】★日中戦争


A『第二次世界大戦 [World War II] [Second World War]』

..... 1939年から1945年。全世界規模の大戦争。

<起点>1939年9月1日。ナチス軍がポーランドに侵攻を開始。すでにアジアでも日中戦争が続いていたので、この時点で、戦争が、世界規模に拡大する。しかし、アメリカ合衆国は1941年の『真珠湾攻撃』まで、中立を保った。のちに、ソビエト連邦軍もポーランドに侵攻。ナチスはフランスにも攻め込み、ヨーロッパ全体に戦火が拡大。ナチスは、連合王国との『バトル・オブ・ブリテン [Battle of Britain]』のあと、ソビエトを裏切ってソビエト領内に攻め込む。

<終点>1945年9月2日。東京湾のアメリカ合衆国軍の戦艦:『ミズーリ [Missouri]』の甲板上において、日本帝国が、連合国に対する降伏文書に調印。連合国側の調印国は、アメリカ合衆国、連合王国(イギリス)、中華民国、ソビエト連邦、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの9ヶ国。


【ウィキペディア】★第二次世界大戦


B『太平洋戦争 [Pacific War]』 【戦時中の日本帝国側による名称は、『大東亜戦争(だい・とうあ・せんそう)』。「東アジアの大戦争」という意味。】

..... 1941年から1945年。日本帝国軍が、東アジア諸国の領土と、太平洋の島々の領有権を巡って、アメリカ合衆国、連合王国、中華民国、オーストラリアなどの『連合国 [Allies] [Allied Powers]』と戦った戦争。日本帝国軍の最大の目的は、インドネシアの油田地帯だった。

<起点>1941年12月7日(日本時間12月8日)。日本帝国海軍による、アメリカ合衆国のハワイ諸島オアフ島に対する真珠湾奇襲攻撃。同日(現地時間も同じ12月8日)、日本帝国陸軍は、輸送船でマレー半島に奇襲上陸し、連合王国軍(=イギリス軍)と交戦状態に入る。2日後の12月10日、日本帝国軍は、中型攻撃機で編成された航空隊の魚雷攻撃により、連合王国軍の戦艦:『プリンス・オブ・ウェールズ [Prince of Wales]』と『レパルス [Repulse]』を撃沈。

<終点>「第二次世界大戦」と同じだが、日本国では、天皇の肉声(録音)によるラジオ放送:『玉音放送(ぎょくおん・ほうそう)』が行なわれた、『1945年8月15日』と定めている。


【ウィキペディア】★太平洋戦争


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筆者が、日本人を相手に戦争の話をしなくなったのは、ある親戚の女性との会話がきっかけだった。

筆者は、中学生のときから、太平洋戦争に興味を持っていたが、クラスの同級生に、太平洋戦争の話をすると、同級生たちは、

「戦争の話なんかするもんじゃない!」

と、怒っていた。それは、学校で、教師たちが、生徒たちに、

「戦争の話は、やめておけ。」

という『教育』をしていたからである。理由は、こういうことだ。

「戦争というものは、たくさんの、何の罪もない人々を殺し、たくさんの悲劇を生むものであり、戦争というものに、興味を持つこと自体が、良くないことなのだ。だから、生徒同士で、戦争の話をしたり、戦闘機や軍艦に興味を持ったりするのは、良くないことである。」

こういう感じで、『教育』をしていて、教師自身もまた、授業で、太平洋戦争の話を、まったくしなかった。するとしても、

「先生も、子供のころは、終戦直後の、食糧が無い時代だったので、毎日、おなかを空(す)かしていた。周囲で、たくさんの人が自殺していた。」

こういう話しかしない。だから、筆者の世代の日本人は、周囲が全部、

「太平洋戦争に関しては、興味を持つこと自体が、もうすでに、普通の人間ではなく、過激な思想に洗脳された人間なのだ。」

こういう『認識』があった。だから、日本人と、太平洋戦争の話をしたことは、ほとんど無い。高校生のときは、もうすでに、「太平洋戦争の話をすると、教師たちから、『危険な思想の持ち主だ』と誤解される」ということを知っていたので、教師たちとも、同級生の生徒たちとも、太平洋戦争の話は、まったくしなかった。

また、今思うと、高校に入学したときから、教師たちが、自分に対して、「危険な思想を持っている人物だ」というような<感じ>の態度だったので、どうも、中学校の担任だった教師のほうから、そういったような『報告書』が、高校の担任の教師や、『生活指導の教師たち』に回っていたような感じもするが、よく分からない。

高校の生活指導の教師たちは、学校内で、茶色のサングラスをかけていて、髭を生やしていたので、見た目、完璧に、『ヤクザ』だった。しゃべり方も、完璧に、ヤクザのしゃべり方だった。保健室に、若くて美人の教師がいたので、男性の教師たちは、用も無いのに、ヒマがあると、保健室に入って、その女としゃべっていた。酷い教師は、病気でもないのに、保健室のベッドで横になって休憩していた。あれが『生活指導の教師たち』だったので、生徒の自分は、日本国の学校制度の意味が分からなかった。

教師たちは、しょっちゅう、生徒をボコボコに殴っていたのだが、殴るときに、何が悪いのかを説明しない。「自分で考えろ」と怒鳴って、殴っていた。日本国の高校というのは、何を教育しようとしているのか、まったく意味が分からなかった。

筆者が高校生のときの話だから、今から38年前から35年前までの3年間の出来事であり、現在の学校教育が、これと同様なのか、今でも変わっていないのかは知らないが、とにかく、『支離滅裂』『意味不明』という感じだった。問題なのは、その、「説明せずに殴りかかってくる」という、教師の態度である。ちょうど、今の『警官』と、態度が似ている。ほとんど同じである。「同じ職業の人ではないか」と、錯覚するくらいに、警官たちと、態度が似ている。しゃべり方もそっくりである。

たとえば、当時、『頭髪検査』という検査があった。1ヶ月に1回、全校生徒を、体育館に並べて立たせて、列の後ろから、生活指導の教師たちが、生徒の『後頭部と側頭部と前髪』を見ながら、前に向かって歩き、歩いていくときに、『失格』の生徒の肩を、「チョン」と、1回だけ叩く。その生徒は、翌日までに、床屋へ行って、散髪して来なければならない。説明は一切、無い。ただ肩を「チョン」と叩くだけであり、そのあと、「どこがダメなのか」とかいう説明は、まったく無い。職員室へ行って、頭を下げて、「どこが悪いのか説明してください」と頼んでも、「自分で考えろ」としか答えない。

筆者の場合、その『頭髪検査』の前の日に、親から散髪代をもらって、刈ってきても、それでも、『失格』になるので、職員室へ行って、「昨日、床屋に行きましたよ」と訴えると、大声で怒鳴り出すわけだ。

「オレがダメだと言ってんだから、ダメなものは、ダメなんだよ! 何が悪いのかは、てめえが自分で考えろ、バカモノ!」

本当に、こういうしゃべり方である。説明はしない。怒るときは、生徒の顔の前『20〜30センチ』のところまで顔を近付けて、目で、生徒の目を睨んでくる。高校生にもなると、教師よりも生徒のほうが背が高いので、教師の視線は、下から睨(にら)む格好になる。この状態が、数分間続く。あれは、ムチャクチャに怖かった。そのときに、『口答え』をしたら、『鉄拳』が、2発か3発、飛んでくるわけだ。訳が分からないので、しょうがないから、自分だけは、「坊主頭」にするしかないわけである。

卒業した後、何年か経ってから、ふと、気が付いたことがある。筆者は、『天然パーマ』なのだが、どうも、高校時代、生活指導の教師たちは、「美容室でパーマをかけて来ている」と思い込んでいたらしい。どうも、それが『失格』の理由だったらしいのだが、入学してから卒業するまで、3年間、分からなかった。

筆者は、3年間、生活指導の教師たちから、異常に嫌われていたのだが、どうも、『パーマ [permanent wave]』が原因だったらしい。そのことが分かったのは、卒業してから、何年も経ってからである。

それで、『頭髪』に関しては、異常に厳しいので、周辺の住民からは、「まじめな高校だ」と、思われていたらしい。つまり、学校の外の人たちに対しては、「生徒たちは、自主的に、そういう頭髪にしている」と、宣伝するわけだ。みんな、頭髪に関しては、後頭部や側頭部の裾(すそ)の部分が『バリカン狩り』になっているわけだから、事情を知らない大人たちが見ると、「まじめな高校」に見える。そうすれば、当然、その学校で働いている教師たちに対する『評価』も上がる。つまり、そうやって「学校と教師たち教育方針に関する評判を良くする」ということが目的だったのだ。

ところが、学校の内部では、ムチャクチャである。生活指導の教師たちへの『ゴマすり』がうまい生徒は、ボスになって、子分を何人か持ち、他の高校の美人の高校生を『愛人』にして、夜中に遊び歩いて、学校では、気の弱い生徒を、ボコボコに殴って楽しんでいた。もちろん、そのボスも子分たちも、頭髪は『裾がバリカン刈り』である。

あまり詳しくは書かないが、ある日、2人か3人の生徒が、『万引き』をして警察に捕まったのだが、学校が下した、生徒への処分は、『全員退学』だった。

ところが、更に不思議なのは、周囲の同級生たちの、教師たちに対する『評価』なのだ。筆者が、そういった、まともに説明もせずに「自分で考えろ」とだけ言って、言う通りにしないと、ボコボコに殴りかかる生活指導の教師たちのことを、

「あいつら、頭がおかしいよな?」

と、言うと、他の生徒たちは、逆に、筆者に対して、首を傾げて、こう『反論』をして、生活指導の教師たちを『弁護』するのである。

「どうして? 先生たちは、オレたちのことを思って、一生懸命にやってくれているんだから、おまえの考えのほうが、よく分からない。社会に出たら、会社の上司は、いちいち『説明』なんか、してくれない。『説明』をしなければ、分からないようでは、いつまで経っても、『自分の力で考える』ということができない人間になる。だから、生活指導の先生たちは、『自分で考えろ!』というわけだ。オレたちは、どうして、おまえが怒っているのか、そっちのほうが、理解できない。」

つまり、こういう意味だ。

「社会に出た後は、会社の上司は、『礼儀』や『態度』などの『社会人の常識』に関しては、いちいち『説明』はしてくれないのだから、高校時代の間に、全部、説明されなくても、何を怒っているのか、自分自身で分かるような人間になり、そして、社会に出たあとは、『怒られなくても、自分で気が付く』というようになっていなければならない。だから、怒ることによって、気付かせようとしてくださっている生活指導の先生たちは、生徒のことを思って、怒ってくれているんだ。社会人になったら、『怒る』とかいう前の段階で、会社をクビになるのである。高校では、そういう、『自分自身で間違いに気が付く人間になる』という『教育』をしているのであり、だから、教師たちは、怒るときに、『自分で考えろ!』としか説明しないのだ。」

こういうことであるらしいのだ。

あとから思うと、筆者が、生活指導の教師たちのことを「頭がおかしい」と、同級生たちに相談していた・・・・・ということも、それも、生活指導の教師たちに、『密告』をしていた生徒がいたようだ。

こういう感じで、筆者は、学生の頃から、完璧に、周囲の同世代の日本人の感覚とは、ズレていた。

おまけに、小学生の頃から、「ときどき、登校拒否をする」という『病気』に関して、高校になってからも、治らなかったので、よけいに、生活指導の教師たちは、「根性が歪(ゆが)んでいる」と、解釈していたらしい。

結局、高校時代の3年間は、生活指導の教師たちとは「殺し合い寸前の状態」という感じだった。そして、卒業する頃には、教師たちも、もう完璧に、筆者のことは、『見限ったような態度』であり、

「性格を治そうと努力したが、結局、無理だった。将来は、犯罪者になるだろう。」

というような『評価』をしていたらしい。しゃべるときも、何かこう、「おまえは、もう、死んだほうがいいよ」という<感じ>のしゃべり方になっていた。

そして、案の定(あんのじょう)、卒業してから、8年後、『精神病院』に入院することになるわけだ。つまり、精神科病院も、親から、そういう、「高校生の時の、教師たちからの評価」を聞いて、判断材料に使い、「被害妄想が酷い自閉症」と、『診断』をしたようなのだ。

これが、日本国の『学校教育』であり、生徒たちは、教師たちの『思想』を、絶対的に信じるから、教師たちが、

「太平洋戦争に関しては、『興味を持つ』ということ自体が、もうすでに、『過激派のメンバー』の仲間入りをしているのである。」

と、『指導』をすると、生徒全員が、そう、信じ込むわけである。

社会人になったあと、『カラオケ』という新型の遊技場が誕生したが、そこで筆者がふざけて『軍歌』を歌うと、聞いていた友人たちが、みんなシラける・・・・・というくらいに、日本人の、『太平洋戦争』に対する憎み方は凄い。

その『親戚の女性』というのは、筆者より少し年下だったが、今から30年くらい前の出来事だ。筆者が、こういう質問をした。

「おまえ、ヤマモト・イソロクって知っているか? 太平洋戦争のときに、日本軍の海軍提督だった人。」

すると、その女性は、こう、答えた。

「知らなくても生きていけるんで・・・。」

そのときの、その女性の表情は、「あんた、過激派のメンバーになったのか?」というような、非常に軽蔑した表情だった。

この『一言』は、筆者には、かなり、強烈だった。ちょうどその頃から、精神病院で治療を受けるようになったので、ますます日本人とは会話をしなくなり、『太平洋戦争』だけでなく、『宗教』や『科学』などの、難しい話は、まったくしなくなった。他の日本人と同じように、『芸能界の話』とか、『食べ物の話』とか、そういう話題しかしゃべらなくなった。

どうも、精神病院の医師や看護師たちも、親から、「太平洋戦争に関する本を読んでいる」という説明を聞いて、それもまた、「精神病に間違いない」と『診断』をする判断材料になったようである。

確かに、今の日本国では、太平洋戦争の話を知らなくても、自分の職業を持って、毎日会社で働いていれば、生きていけるし、知っていても、周囲にそういう話を話題にする人間は、誰もいないので、ほとんど意味が無い。社長からも「過激派のメンバーか?」と疑われるから、会社の同僚を相手に、そういう話はできない。

どうも、そもそも、教師たちに対して、国家の教育委員会のほうから、

「生徒に対して、『太平洋戦争』に興味を持たないように、教育するべきである。」

という、『指針』が、示されているようなのだ。だから、全国規模で、どこの学校でも、『太平洋戦争』の話はしない。

少し噂を聞いただけだが、一部の学校では、こういう話も、教えているらしい。

「カミカゼ特攻隊というのは、出撃する前に、麻薬を注射して、アメリカの軍艦に突入していた。そうでなければ、正常な精神状態で、突っ込めるはずがない。」

この話が、「筆者がただ単に、変な日本人から聞いただけ」という種類の誤解ではなく、確かにそういう『噂』があり、かなり多くの日本人が信じている、ということは、インターネットのあちこちのウェブページで確認できる。


【Yahoo!知恵袋】★戦時中日本の神風特攻隊は突撃前にメタンフェ・・・★[配信 2009/08/08/14:43]


また、ある有名なマンガも読んだが、そこでは、兵士たちが、「断われない雰囲気」の中で、むりやり『志願』をさせられて、書類上は、自分から特攻隊を『希望』して、敵の軍艦に突っ込んでいく姿が描かれたいた。タイトルは忘れたが、確か、『はだしのゲン』だったと思うが、2013年の火災で、戦争を描いたマンガの本も全部燃えたので、はっきりとは覚えていない。似たような、別のタイトルのマンガだったかも知れない。


【ウィキペディア】★はだしのゲン


筆者が、『宗教』の研究を始めたのは、36年前の1980年からであるが、『第二次世界大戦』の研究は、それよりも古い。1975年の13歳頃からであるから、もう、41年になる。

中学生の頃は、プラモデルの戦闘機や爆撃機も作っていた。それは、日本軍の『ゼロ戦』だけでなく、アメリカ軍の戦闘機や、連合王国軍の戦闘機などである。これらも、2013年の火災で全部燃えた。『タミヤ』という有名なメーカーのプラモデルである。

余談だが、『タミヤ』のプラモデルは、素晴らしかった。アメリカ軍の航空母艦用の戦闘機:『グラマン・F6F・ヘルキャット [Grumman: F6F "Hellcat"]』や、『チャンスヴォート・F4U・コルセア [Chance Vought: F4U "Corsair"]』は、実物の戦闘機は、主翼の付け根の部分から折りたたむことができるのだが、タミヤのプラモデルは、本当に、折りたためたので、あれには、中学生の自分は、かなり興奮した。『バトル・オブ・ブリテン』で活躍した連合王国軍の『スーパーマリン・スピットファイア [Supermarine: "Spitfire"]』は、形が美しかった。連合王国軍の大型爆撃機:『アブロ・ランカスター [Avro: "Lancaster"]』も作った。『ドゥーリトル空襲作戦』で有名な、アメリカ軍の中型爆撃機:『ノースアメリカン・B−25・ミッチェル [North American: B-25 "Mitchell"]』も作ったし、大型爆撃機の『ボーイング・B−17・フライングフォートレス [Boeing: B-17 "Flying Fortress"]』も作った。ナチス軍の有名な戦闘機や爆撃機も作った。

筆者の場合、組み立てるだけでなく、プラモデル用の塗料も塗っていた。

ところが、やはり、親もまた、そういう『趣味』が、気に食わない。家の中で飾っていると、わざと壊してしまうのである。「過激派の思想を持った人間に育ってしまう」と、思い込んでいるわけだ。家を訪問した人がそういうプラモデルを見ると、親としては、恥ずかしいのである。だから、作っても、部屋に飾らずに、大型のボックスの中にしまっておくしかなかった。

日本人の、こういった、『太平洋戦争に対する憎しみ』というのは、他の国では、想像できないような感覚なのである。


【ウィキペディア】★タミヤ


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筆者が研究していることは、『空襲の犠牲者』とか、『沖縄戦の民間人の被害』とか、そういう種類ではないわけである。

このページで説明したいと思っていることは、そのことだ。「筆者は、何を研究していたのか?」ということである。

筆者を待っている『超美人歌手たち』というのは、実は、案外、筆者が研究している話を、聞きたがっているのである。彼女たちは、今このページで説明しようとしている内容は、すでに知っていて、非常に興味を持っている。彼女たちも、みんな、『曾祖父(そうそふ)』 【ひいじいさん。】 の世代は、第二次世界大戦で兵士として戦っていた。

筆者は、「全世界の女性は、第二次世界大戦に興味を持つ必要はない」・・・・・とは、思わない。『知識』の理解力に、男性と女性の能力の差は存在しない。

つまり、日本国の一般市民の女性たちは、「太平洋戦争に興味を持つ日本人は、過激派のメンバーだ」と認識しているが、『超美人歌手たち』は、案外、非常に興味を持っていて、聞きたがっている。

おそらく、筆者は、『第二次世界大戦』の知識に関して、現在の全人類『73億人』の中で、最高の知識を持っていると、自分では推理している。少なくとも、『超美人歌手たち』は、そう思っているのである。

もちろん、第二次世界大戦に詳しい人の中には、筆者でも驚くような知識を持っている人は、全世界に、たくさんいる。筆者も、第二次世界大戦中のすべての戦いに詳しいわけではない。

このサイト内の『台湾問題』でも、少し紹介しているが、『バトル・オブ・ブリテン』のような、意地を賭けた戦いというものを、どうして、あの時代、しなければならなかったのか?

本当に、今の時代の人間たちが考えているように、

「戦争好きの性格の人間たちが、醜(みにく)い殺し合いをしていた。」

ただそれだけの話なのか?

とにかく、今の日本人は、

「『会社の仕事』と『家族サービス』で精一杯だ。『太平洋戦争の研究』など、しているヒマがない。」

これが『本音』であり、また、学校教育の影響で、「太平洋戦争には、まったく興味がない」という人が多い。

はっきり言って、『天皇家』や『皇族』もまた、「太平洋戦争の話はしたくない」という雰囲気だ。確かに、ときどき、思い出したように、天皇と皇后が、東アジアの国を訪問して、『戦没者記念碑』で、お参りしているが、しかし、そのときでさえ、あまり具体的には、戦争の話はしない。

じゃあ、筆者は、その、戦争をしていた軍人たちの話を、『三国志』や『日本国の戦国時代』のような感覚で、「かっこいい」と思って、『研究』をしているのだろうか?

それも違う。このあたりの『動機』の説明は、かなり難しい。だが、今生きている人たちの、『祖父』とか、『曾祖父』とか、『曾祖父の父親』とかは、世界大戦で戦争をしていたわけであるから、「なぜ、戦争をしていたのか?」という問題に、「まったく興味が湧かない」という人はいないであろう。アメリカ人などは、若い人たちも、かなり、興味があるようだ。

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『世界大戦』というのは、100%、何の『弁解』も許されないで、『悪』なのだろうか? 確かに無条件に『善』だとは言えない。しかし、本当に、日本人が認識しているように、「研究する価値もないほど、バカげた醜い殺し合いだったのか?」ということだ。

視点を変えると、別の世界は見えてくる。確かに、『戦争』は、人間同士の殺し合いが気持ちが悪いし、人間の精神を悪化させる。

しかし、70年間、戦争をしていない日本国の、日本人同士の付き合い方を観察して、

「戦争がない『平和』というのは、100%正しい状態なのか?」

そういう『疑問』が、湧いてくる。外国と戦争はしていないが、国内では、変な詐欺事件が多発していて、家族同士の助け合いも薄く、ただ金銭感覚だけで人間同士が付き合っているような印象さえ受ける。遺産を巡って、家族同士で醜い争いが始まることも多い。

逆に、戦争中は、日本人同士は、ここまで酷(ひど)くは無かった。確かに、「詐欺」とか「弱い者いじめ」も、あっただろうが、老人の財産を狙う「振り込め詐欺」など無かったし、社会的弱者に対して、もうちょっと、周囲は優しかった。

もちろん、「戦争をしているほうが、国内における人間同士の雰囲気は良くなるのだ」と論じるつもりはない。それは、「戦争」が原因ではなく、「道徳教育」の問題である。

しかし、日本国は、戦争をしていた時代に比べると、国内における人間同士の付き合いが薄れているのも事実だ。アメリカ合衆国を見ると、毎年、外国で戦争をしているが、国内での人間同士の団結力は、日本国と比べると、かなり強い。

【ただし、学者によっては、「日本人同士の不信感は、平成時代よりも戦争中のほうが酷かった」と思っている人が多いことは知っている。】

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もうひとつの問題は、『国際感覚のズレ』である。日本人自身は、あまり気が付いていないが、1991年の『湾岸戦争』のときから、世界中の人々は、「日本人は、国際感覚がズレている」という認識を持っている。

それは、現在でも、『シリア内戦』を見ても分かる。やはり、日本人は、ズレている。シリア内戦に対して、インターネットの掲示板などを読むと、こういうコメントが、結構、多い。

「アメリカの戦争好きの性格にも困ったもんだよなあ。空爆しか、解決策を思い付かないのか?」

こういう主旨(しゅし)のコメントである。

つまり、日本人の感覚で評価すると、「シリア内戦を、空爆で解決する」という考えが、『レベルの低い人間』のような感じがするわけである。どういう理屈なのかを、アメリカ人のために、『解説』したい。

シリア内戦は、

「革命や戦争によって民主主義の国家を築く。」

という、日本国の報道機関が『アラブの春』と呼んでいる、6年ほど前からのアラブ諸国における変革の流れから発生した現象である。 【どうして「アラブの春」と呼ぶのか、筆者は、まったく理由が分からない。】

確かに、「話し合いもせずに、いきなり戦争を始めて、アサド大統領を辞任に追い込む」という、反政府勢力のやり方もおかしいが、だからと言って、その内戦を、「空爆によって解決する」という考えも、おかしな考え方ではなかろうか?

日本国の諺(ことわざ)にもあるが、「ミイラ取りがミイラになる」という状態と同じである。学者などがミイラを取りに行って、事故か何かが原因で、そこで死んでしまって、その人の遺体がミイラになってしまうことだ。つまり、「空爆で解決する」というのは、それは、「自分も内戦に参加する」という状態を生み出すだけである。それはつまり、「内戦を拡大させる」という結果を招くに過ぎない。


【故事ことわざ辞典』★ミイラ取りがミイラになる


ところが、今の日本人が、めちゃくちゃに不思議なのは、ここからなのだ。そういう批判をしている日本人に、

「じゃあ、あなたは、どうすればシリア内戦を終わらせることができると思いますか?」

こう問うと、彼らは、こう、答える。

「私は、政治家ではないから、答える義務はない。」

嘘だと思うなら、オバマ大統領や、プーチン大統領を批判している、日本人に、ロイターの記者が、質問したらいい。本当に、そう答えるのである。

「自分は政治家ではないから、具体的な解決方法は思い付かないが、しかし、とにかく、『空爆』という選択肢は、『内戦を拡大させるだけ』と思うから、おかしいと思う。」

こう、答える。

「他人の考えは、間違っていると思うが、しかし、自分自身の考えは持っていない。」

この答え方の、何がおかしいのか、それも、気が付かない。

じゃあ、日本国の政治家たちは、『シリア内戦』に対して、具体的に、何をしているか? 何もしていない。「アメリカ合衆国の空爆を『是認(ぜにん) [approval]』する」という立場であるが、「自衛隊の参戦」はしない。なぜなら、「憲法違反になるから」である。「後方支援」ならば、「合憲」であるらしいが、今のところは、何もせずに、様子を見ている。

じゃあ、「戦争には参加しないが、内戦を終わらせるために、アサド政権、あるいは、反政府勢力側と接触をしているか?」というと、それも、何もしていない。

つまり、ロシア政府が、アサド政権に味方をして空爆作戦を実行していることに対しては、日本人は、『批判』をしているが、「じゃあ、日本政府が何もしていないことに対しては、どう思うか?」と質問すると、彼らは、こう、答える。

「シリア内戦は、日本国とは何の関係も無いのだから、様子を見守っている日本国の政治家の対応は、正しい。」

つまり、「火中の栗を拾う必要はない」というわけだ。確かに、日本国政府がシリア内戦に干渉しても、「犠牲者を出して、内閣に対する世論の支持率が下がるだけで、日本国に対しては、何の利益ももたらさない」という結果に終わる可能性は高い。


【故事ことわざ辞典』★火中の栗を拾う


日本国の政治家たちは、ある程度、「この国際感覚では、まずい」と、分かっているのだが、なにせ、「『知識階級 [intelligentsia]』の人たちからの批判」や「報道機関による批判」が、凄すぎる。シリア内戦に自衛隊を派遣して、自衛官が一人でも戦死したら、たぶん、その政権の内閣は総辞職に追い込まれるであろう。

この、シリア内戦に対する、合衆国政府と、日本国政府の態度の違いは、見比べていて、おもしろい。どちらも、「自国とは関係のない問題だ」という点では、同じである。アサド政権が、合衆国に危害を加えたことはない。だから、合衆国がアサド政権と戦う理由は無い。直接戦っているわけではないが、アメリカ軍が反政府勢力の兵士を訓練し、武器を提供しているわけであるから、明らかに、アサド政権の立場で見れば、「敵対行為」である。

そして、アメリカ軍は、『イスラム国』 【日本国の報道機関が使用している呼称の<雰囲気>を英語にすると、『Islam Country』、あるいは複数形の『Islam Countries』になる。『イスラム国』という名称は、英語の『Islamic State』を翻訳したものであるらしいが、ここでは、言語学的な解説や批判は省略する。英語では『ISIL (Islamic State of Iraq and the Levant)』、または『ISIS (Islamic State of Iraq and Syria)』と表記している。】 という武装組織に対して空爆を行なっている。

一方、日本国政府は、「日本国とは関係のない問題だから、関わらないほうがいい」という態度である。それでいて、日本国の一般市民は、「合衆国政府の対応は、内戦を拡大させるだけだから、間違っている」と、批判している。

日本人は、太平洋戦争に対しても、不思議な感覚を持っている。最初から、まったく、研究をしないのだ。一般市民のほとんどは、太平洋戦争の話をまったくしない。興味もない。どれくらい知識が無いかを、分かりやすく説明すると、こういう感じである。

日本人に、

「ゼロ戦、知ってますか?」

と、質問すると、

「飛行機ですよね。」

と、答える。ところが、問題なのは、どれくらい知っているのかだ。

「太平洋戦争のときに、日本軍が使っていたプロペラ式の戦闘機で、特攻隊が使っていた。」

これが限界であり、これ以上は、知らない。形もあまり見たことが無い。「最高速度」など、ぜんぜん分からない。「何人乗りか?」ということも、知らない。「昭和何年から戦争で使用され始めたか?」ということも知らない。「終戦までに何機製造されたか?」という数字など、さっぱり分からない。「航空母艦から発進して、着艦できた」ということも、知らない。

そして、

「具体的に、どういう戦いで活躍したか?」

こんな質問など、意味が無い。なぜなら、「太平洋戦争では、『真珠湾攻撃』以外には、どういう戦いがあったか?」ということを、まったく知らないのである。『マリアナ沖海戦』も知らない。『レイテ沖海戦』も知らない。『珊瑚海海戦(さんごかい・かいせん)』も知らない。『サイパン島攻防戦』も知らない。『ガダルカナル島攻防戦』も知らない。『ミッドウェー海戦』も知らない。『ソロモン海戦』も知らない。『インパール作戦』も知らない。有名な『沖縄戦』ですら、具体的に、アメリカ軍がどこから攻めて来て、日本帝国軍が、どうやって戦ったのか、両軍の指揮官は誰なのか、どういう兵器が使用されたのか・・・・・それは知らない。『硫黄島の戦い』は、渡辺謙主演の映画を見て少し知っている程度であろう。『カミカゼ』も、「具体的に、どういう作戦で、全部で何人戦死したのか?」ということは、さっぱり分からない。

確かに、アメリカ合衆国の一般市民も、筆者に比べれば、たいした知識はないと思うが、それにしても、日本国の一般市民の関心の無さは、かなり異常な感じがする。

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つまり、筆者が研究している内容、それはつまり、『超美人歌手たち』が、筆者から聞きたいと思っている内容でもあるが、

「戦争に参加していた男性たちは、何を目的に、自分の命を賭けたのか?」

この『謎』なのだ。今の時代、「自分の命を賭けて何かをする」という人間は、少ない。

日本国では、

「人の命は地球よりも重い。」

という。だから、「命を賭けて何かをするヤツは、頭がおかしい」・・・・・という考え方につながる。その理屈が真実かどうかはともかく、今の日本人に、命を賭けて何かをする人間などいない。ただし、「命の危険はあるが、成功すれば、大金がガッポリはいる」という状況なら、話は別だ。

じゃあ、太平洋戦争に参加した兵士たちは、「金儲け」が目的だったのか? どうも、それもおかしい。あの当時は、自衛隊と違って、そんなに給料は良くなかった。

つまり、あの頃、日本人も、他の国の男性たちも、

「自分が命を賭ける価値がある。」

という理由が、『戦争』の中に、存在したのだ。

では、それは、「世界制覇の野望」なのだろうか? もし、それが正解ならば、

「昔の日本人男性は、元気が良かったんだなあ。」

と、筆者は、褒めてしまう。

しかし、それも、違うみたいな感じもする。ただし、ナチスは、「全世界を制覇する」ということが目的だったようだ。(もちろん、『ユダヤ民族600万人虐殺』を褒める気はまったく無い。)

そして、果たして『カミカゼ』というのは、

「敗戦色が濃くなってきて、自暴自棄になった軍部が考案した、非人道的な悪魔の作戦。」

だったのか?

もし、そうではないならば、今の日本国の大学生たちが、自分たちの力で、突き止めなければならないことだ。

もし、大学生たちが、筆者に対して、

「カミカゼって、具体的に、どういう作戦だったのですか?」

と、質問してきたら、筆者は、こう答えるだろう。

「自分で考えろ!」

そして、筆者が、全世界の報道機関に言いたいことは、このことだ。

「戦争の加害者も、被害者も、真実は語らない。それは、今生きている中で、自分や家族や親戚の平和な生活に支障が生じるからだ。少なくとも、そのことを知らずに、戦争の話を聞き出そうとしても、それは『失礼』であり、そして、真実は聞き出せない。」

謎を解くヒントは、筆者の説明の中にある。それは、

「第二次世界大戦に参加した軍人たちは、自分の命を賭ける価値が、『戦争』の中にあった。」

ということだ。

たとえば、アメリカ合衆国内で、日系アメリカ人たちは、強制収容所に隔離された。日本帝国のスパイが紛れ込んでいる可能性があったからだ。しかし、その中の、一部の若者たちは、自分から志願して、アメリカ軍に加わり、その「日系アメリカ人部隊」は、ヨーロッパ戦線に投入されて、ナチス軍と戦った。彼らは、戦場で、先頭に立って奮戦し、多くの戦死者を出したが、しかし、数多くの勲章を受章した。

戦場で、アメリカ人と日本人が同じ部隊にいるのを見たナチス兵は、「日本帝国が裏切った」と思い込んで、驚いて降伏してきた・・・・・というエピソードもあったようだ。つまり、『日系アメリカ人部隊』には、そういう心理的効果もあった。

そして、戦後、アメリカ合衆国国民は、「戦争中における日系アメリカ人部隊の活躍」をマスメディアなどで見て知るようになると、

「『日本人』は、『日本国民』だが、『日系アメリカ人』は、『アメリカ合衆国に住んでいる日本国民の子孫』ではなく、『先祖が日本国民だったが、彼ら自身は、アメリカ合衆国国民』なのだ。」

こう、認識するようになった。

つまり、アメリカ英語で『NISEI(二世)』と呼ばれた、日本国から合衆国に移住してきた人たちの子供に対して、他のアメリカ人も同じように先祖はヨーロッパやアフリカなどの外国人であるにもかかわらず、当時のアメリカ人たちは、「日系人だけは、自分たちとは違うのだ」という、『偏見(へんけん) [prejudice]』を持っていた。

日系アメリカ人部隊は、自分たちがアメリカ軍の兵士となって戦うことによって、その偏見を、覆(くつがえ)そうとしたのである。

オバマ大統領も、2010年10月8日、日系アメリカ人部隊『442連隊戦闘団 [442nd Regimental Combat Team] [442nd Infantry Regiment]』に対して、『議会名誉黄金勲章 [Congressional Gold Medal]』を授与した。

そして、オバマ大統領は、2012年に亡くなった、元日系アメリカ人部隊の兵士で、アメリカ合衆国上院議員:『ダニエル・イノウエ [Daniel Inouye]』に対して、最大級の賛辞を贈り、追悼式典を開いた。遺体を納めた棺(ひつぎ)は、アメリカ合衆国議会議事堂中央にある大広間に安置された。

彼らは、「自分の命を賭ける理由」が、『戦争』の中にあったのだ。それは、「邪悪な動機」とはかけ離れている。日系アメリカ人部隊の目的は、「政府から疑われて強制収容所に入れられている日系アメリカ人たちを解放する」ということだったのである。

終戦の翌年、1946年7月18日、トルーマン大統領は、日系アメリカ人部隊を視察したとき、こう賞賛した。

"You fought, not only the enemy, but you fought prejudice, and you've won. Keep up that fight, and we'll continue to win. To make this great republic stand for just what its Constitution says it stands for, the welfare of all the people, all the time."
【翻訳は、お近くの『大卒者』に相談してください。】

<ウィキペディアによる資料>
"You fought not only the enemy, you fought prejudice---and you won."
「諸君は敵のみならず偏見とも戦い勝利した。」


【ウィキペディア】★議会名誉黄金勲章


【ウィキペディア】★第442連隊戦闘団


カリフォルニア州にある『マンザナー強制収容所 [Manzanar internment camp] [Manzanar War Relocation Center]』の跡地は、すでに1992年3月3日に『ナショナル・ヒストリック・サイト [National Historic Site]』 【日本語では、一般的には「国定史跡」と翻訳されている。】 に選定され、同じくカリフォルニア州にある『トゥーリーレイク戦争移住センター [Tule Lake War Relocation Center]』の跡地は、2006年2月17日に『国定歴史建造物 [National Historic Landmark]』に選定されていたが、2015年2月19日、オバマ大統領は、ハワイにある『ホノウリウリ日系人収容所[Honouliuli Internment Camp]』の跡地を、『ナショナル・モニュメント [National Monument]』 【これも、「国定史跡」と翻訳されている。】 に選定した。

「2月19日」は、『真珠湾攻撃』の2ヶ月後、1942年に、フランクリン・ルーズベルト大統領が、国内の日系アメリカ人を敵視する命令:『大統領令9066号』を発令した日だった。

オバマ大統領がホノウリウリ日系人収容所跡地をナショナル・モニュメントに選定した意図は、「アメリカ合衆国も、日系人に対して、ナチスと似たようなことをしていたのだ」ということを、思い起こして、「国家」として反省する・・・・・というところにあった。


【AFP】★ハワイ最大の日系人収容所、米大統領が国定史跡に指定へ★ [配信 2015/02/19/11:40(1年前)]


【AFP】★米国定史跡として残る日系人強制収容所★ [配信 2015/12/12/15:41(2ヶ月前)]


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筆者が、『第二次世界大戦』を研究していて、そのあと、『宗教』の研究を始めた経緯には、関連性があるのである。つまり、

「自分の命を賭けて何かをする人間がいる・・・・・ということは、その兵士たちは、『死後の世界』を信じていたわけだ。じゃあ、それは、どういう世界なんだろう?」

13歳頃から『第二次世界大戦』の研究を始め、18歳頃から、そういう『死後の世界』の存在を気にするようになり、『宗教』の研究を始めた。

何かの宗教の信者に成ったのではない。筆者の場合、最初から、「宗教という学問の研究」という変則的な態度で、『宗教の教義』を、客観的に、観察し、分析していたのである。

果たして、『日本帝国軍の兵士たちが命を賭けた理由』というのは、子孫である日本国の若者たちが研究する価値がないほど、醜いものだったのだろうか・・・・・?

真実は闇の中だ。しかし、これだけは議論する必要がないくらいに正しい分析だろう。

「日本帝国軍の兵士たちの心理状態は、『神道』という、日本固有の宗教の理解無しには、100%完全に、理解することは不可能である。」

ということだ。

天皇は、日本全国の優秀な大学生を集めて、『神道研究グループ』を発足させて、一緒に研究を始めたほうがいいのではなかろうか?

日系アメリカ人の若者たちは、国家から人種差別の弾圧を受けたことに対して、「アメリカ合衆国軍に入隊して、疑いを晴らす」という行動に出た。そして、ヨーロッパ戦線で奮戦し、自分の命を犠牲にして、「日系アメリカ人は、他のアメリカ人と同じアメリカ合衆国国民なのだ」ということを証明した。

『偏見』を覆したあと、彼らは、案外、心の中では、「今まで自分たちも、アメリカ合衆国の他の国民に対して、存在価値をアピールしなかったから、少しは、自分たちにも原因はあった」と思って、『反省』をしていたかも知れない。少なくとも、「100%、自分たちには『偏見』を受けた原因の責任はなく、100%、他のアメリカ合衆国国民が悪かったのだ」とは、思っていなかったであろう。

もしかすると、これが、新約聖書に書かれている、キリストが説いたという、

「右の頬を打たれたら、左をも差し出せ。」 

【出典:新約聖書『マタイによる福音書』第5章】

という意味かも知れない。もしそうだとしたら、キリストという人は、2000年前の原始人とは思えないような、かなりレベルの高い『生活指導の教師』だったのではなかろうか・・・・・?


【Yahoo!知恵袋】★キリスト教の「右の頬をぶたれたら、左の頬を・・・★ [配信 2008/01/13/00:23]


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筆者の高校の卒業式の日だった。卒業式が終わって、学校の校門を出る前に、3年生全員が、校庭に集まって、教師たちと、お別れの挨拶をしていた。そのとき、ある科目の教師が、筆者のほうに近寄ってきた。

その教師は、手に、贈答品の包装をした箱をもっていた。筆者は、その科目に関しては、3年間、他の生徒たちをはるかに引き離して、最高の成績を記録し、ペーパーテストも、ほとんど100点を取っていたので、そのことで、教師が、筆者に何かプレゼントをしてくれるのだと思って、

「先生、お世話になりました。」

と、挨拶したら、その教師は、筆者の顔を見て、「なんだ、こいつ? どうしてオレに挨拶するんだ?」という<表情>をしてから、完璧に無視して、目の前を通り過ぎた。

筆者が後ろを見ると、ある男子生徒が立っていて、その教師は、その生徒に近寄って、ニコニコしながら、プレゼントを渡した。

本気で、めちゃくちゃに驚いたのだが、その生徒は、その教師の科目の授業中、寝てばかりいた不良学生だったのである。ペーパーテストの得点も、学級で、最低レベルだった。

ただし、その生徒は、生活指導の教師たちとは、非常に仲が良かった。それ以外の教師たちとも、仲が良かった。

筆者は、そのときに、分かったのだ。

日本国の学校教育では、『生徒の両親たち』は、「ペーパーテストの得点」を、非常に問題にしているが、現場の教師たちにとっては、「ペーパーテストの得点」など、『全体の評価の一部分』に過ぎないのである。

重要なことは、『人間性』だったのだ。

「『教師と仲良くなれる生徒』というのは、『社会に出て上司とうまく仕事ができる部下になることができる素質がある人間性を持っている』ということを意味する。成績が良くても、教師と仲良くなることができない生徒は、社会に出ても、上司とうまく仕事ができずに、人生に失敗する。重要なことは、『教師に対する態度』なのだ。」

こういうことだったのである。ペーパーテストの成績は、あまり重要ではなかったのだ。

しかし、筆者は、そのとき、『失望』とか、『怒り』とかは、まったく感じなかった。そのとき思ったことは、

「日本国の学校教育において、『ペーパーテスト』というのは、何なんだろう?」

という、『疑問』だった。

1981年3月上旬、高校の卒業式の日、小学校、中学校、高校の、12年間で、初めて、そういう疑問が浮かんだ。

そして、筆者は、3年間、『恩師たち』に世話になった、その高校の校門を出た。

結局、その日、筆者に挨拶をする教師は、一人もいなかった。




----- 『日本人の戦争観』・終 -----






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