lil69ili.com - THESIS 026

「ジュリーがライバル」
< Jurii Ga Raibaru >

"His Rival Is Julie"





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UPLOAD 2016/09/21





筆者の場合、どうして若い頃、周囲の男たちとケンカばかりしていたのかが問題なのだが、『若い頃の沢田研二{さわだ・けんじ}』を見れば分かる。

『沢田研二』とは、日本国の男性歌手である。

若い頃の筆者は、1977年のハリウッド映画:『スター・ウォーズ』の主人公:『ルーク・スカイウォーカー』(マーク・ハミル)にも似ているが、沢田研二にも似ていた。どちらかというと、マーク・ハミルよりも、沢田研二のほうが似ている。

若い頃の沢田研二を見ると、『若い女性にモテない男たち [guys who are cannot favored form girls]』が、胸糞悪くなって、精神病院に入院させたくなる・・・・・ということが、分かる。

それと、アイドル歌手の『石野真子{いしの・まこ}』の歌を聴くと、『とある青年 [one young-man]』が、沢田研二よりもハンサムだということが分かる。

沢田研二というと、ヒット曲は、『勝手にしやがれ(1977年)』『憎みきれないろくでなし(1977年)』『サムライ(1978年)』『ダーリング(1978年)』『カサブランカ・ダンディ(1979年)』が有名なのだが、それらの曲は、『若い頃の筆者』とは、雰囲気が違う。それらよりも、1973年の『危険なふたり』と、1974年の『追憶(ついおく)』と、1975年の『時の過ぎゆくままに』のほうが、雰囲気が合っている。

「『危険なふたり』『追憶』『時の過ぎゆくままに』を歌っているときの、沢田研二が、筆者にそっくりだ。」

という意味である。

沢田研二は、1948年生まれなので、1973年は、25歳、1974年は、26歳、1975年は、27歳であり、筆者が刑事たちに精神病院に連れて行かれた年齢と、ほぼ同じである。筆者自身は、1973年は、11歳、1974年は、12歳、1975年は、13歳なのだが、これらの3曲のほうが、筆者が20歳代の頃と雰囲気が合っている。

早い話が、1980年代、日本国の芸能界は、TVの中では、「芸能人になって欲しい」と思っているような表情をしていたが、内心は、胸糞悪かったわけだ。

若い頃の沢田研二を見れば、

「これよりハンサムな男は、芸能人になるのは、まずい。沢田研二が限界だ。」

という意味が、感覚で分かる。

つまり、「どうして大ヒットした男性歌手たちも、芸能界とケンカをしていたのか?」というと、これらのゴタゴタが原因なのだ。ただし、沢田研二や、石原裕次郎{いしはら・ゆうじろう}など、ごく一部の男性歌手は、芸能界と仲良く仕事をしていた。

諺{ことわざ}で『傾国{けいこく}』というのは、「その国全体が大混乱を起こすような、ものすごい美女」という意味だが、筆者や沢田研二は、そういう感じの『男性』だったわけだ。ただし、男性のことを「傾国」とは呼ばない。人類の歴史上、「ハンサムな男性が原因で国家が大混乱した」と言う話は存在しない。

つまり、沢田研二本人もまた、芸能界の大混乱の原因なのである。1980年代に、日本中から、「沢田研二が働いている芸能界で仕事をして、女性からモテたい」と、願望した男たちが集まって来て、そこから、大混乱が始まったのである。

沢田研二は、もともと、1967年から『ザ・タイガース [The Tigers]』 【単に「タイガース」とも呼ぶ。】 という音楽グループのボーカルだった。このときのニックネームが、『ジュリー』だった。沢田研二本人が、ハリウッド女優の『ジュリー・アンドリュース [Julie Andrews](A.D.1935-現在)』のファンだったので、自分のニックネームを『ジュリー [Julie]』としたようだ。他のメンバーのニックネームは、

『サリー』 ... 岸部修三{きしべ・しゅうぞう}、のち、岸辺一徳{きしべ・いっとく}

『トッポ』 ... 加橋かつみ{かはし・かつみ}

『タロー』 ... 森本太郎{もりもと・たろう}

『ピー』 ... 瞳みのる{ひとみ・みのる}

『シロー』 ... 岸部シロー{きしべ・しろー}、のち、岸部四郎{きしべ・しろう}

【昭和時代、歌手たちが、自分のニックネームを英語で表記することは、ほとんど無かった。沢田研二は英語では『Julie』と表記していた。】

代表曲は、『僕のマリー』『シーサイド・バウンド』『モナリザの微笑』『君だけに愛を』など。

1971年1月24日の武道館コンサート:『ザ・タイガース・ビューティフル・コンサート』を最後に解散したあと、『PYG(ピッグ)』というグループのボーカルを担当した。『萩原健一{はぎわら・けんいち}(ショーケン)』 【元『ザ・テンプターズ [The Tempters]』のメンバー。】 や、『井上堯之{いのうえ・たかゆき})(イノヤン)』 【元『ザ・スパイダース [The Spiders]』のメンバーで、スパイダース時代の芸名は、『井上孝之{いのうえ・たかゆき}』。】 などの優秀なメンバーがいたが、ある程度のヒットはしたもの、こちらでは成功しなかった。1972年11月に解散。解散公演もなく、自然消滅したらしい。

ザ・タイガースを先頭に、1967年から始まった、『グループ・サウンズ [group sounds](和製英語)』と呼ばれた独特の音楽グループの活動は、ザ・タイガースの解散と共に、急速に人気を失ってゆく。

『ザ・タイガース』の解散後、沢田研二は、1971年11月から、PYGのボーカルの仕事と並行して、ソロ活動も始めた。PYGは成功しなかったが、ソロ活動のほうは、大成功して、その後、1980年代前半まで、10数年間、ヒット曲を多く出した。

つまり、日本国の芸能界が大混乱している原因は、筆者と沢田研二が原因なのだ。沢田研二のあと、「美人で歌がうまい」という女性歌手が、続々とデビューし始めた。

【順序は歌手デビュー年。同じ年内における順序に関しては特に意味は無い。】

◆[01]荒井由実{あらい・ゆみ}(1972年デビュー)

◆[02]谷山浩子{たにやま・ひろこ}(1972年デビュー)

◆[03]森昌子{もり・まさこ}(1972年デビュー)

◆[04]小林麻美{こばやし・あさみ}(1972年デビュー)

◆[05]キャンディーズ(1973年デビュー)
{「ラン(伊藤蘭{いとう・らん})」「スー(田中好子{たなか・よしこ})」「ミキ(藤村美樹{ふじむら・みき})」の女性三人組}

◆[06]山口百恵{やまぐち・ももえ}(1973年デビュー)

◆[07]桜田淳子{さくらだ・じゅんこ}(1973年デビュー)

◆[08]太田裕美{おおた・ひろみ}(1974年デビュー)

◆[09]八神純子{やがみ・じゅんこ}(1974年デビュー)

◆[10]伊藤咲子{いとう・さきこ}(1974年デビュー)

◆[11]岩崎宏美{いわさき・ひろみ}(1975年デビュー)

◆[12]岡田奈々{おかだ・なな}(1975年デビュー)

◆[13]ピンクレディー(1976年デビュー)
【「ミー(根本美鶴代{ねもと・みつよ})」「ケイ(増田恵子{ますだ・けいこ})」の女性二人組】

◆[14]尾崎亜美{おざき・あみ}(1976年デビュー)

◆[15]庄野真代{しょうの・まよ}(1976年デビュー)

◆[16]高田みづえ{たかだ・みづえ}(1977年デビュー)

◆[17]榊原郁恵{さかきばら・いくえ}(1977年デビュー)

◆[18]矢野顕子{やの・あきこ}(1977年デビュー)

◆[19]大場久美子{おおば・くみこ}(1977年デビュー)

◆[20]香坂みゆき{こうさか・みゆき}(1977年デビュー)

◆[21]竹内まりや{たけうち・まりや}(1978年デビュー)

◆[22]石野真子(1978年デビュー)

◆[23]サーカス(1978年デビュー)
【「叶正子{かのう・まさこ}」「卯月節子{うづき・せつこ}」の女性二人と、「叶高{かのう・たかし}」「叶央介{かのう・おうすけ}」の男性二人の四人組。メイン・ボーカルは、叶正子。】

◆[24]水越けいこ{みずこし・けいこ}(1978年デビュー)

◆[25]石川ひとみ{いしかわ・ひとみ}(1978年デビュー)

◆[26]石川優子{いしかわ・ゆうこ}(1979年デビュー)

◆[27]久保田早紀{くぼた・さき}(1979年デビュー)

◆[28]川島なお美{かわしま・なおみ}(1979年デビュー)

◆[29]門あさ美{かど・あさみ}(1979年デビュー)

◆[30]松田聖子{まつだ・せいこ}(1980年デビュー)

◆[31]岩崎良美{いわさき・ひろみ}(1980年デビュー)

◆[32]柏原芳恵{かしわばら・よしえ}(1980年デビュー)

◆[33]河合奈保子{かわい・なおこ}(1980年デビュー)

◆[34]三原順子{みはら・じゅんこ}(1980年デビュー)

◆[35]浜田朱里{はまだ・じゅり}(1980年デビュー)

◆[36]薬師丸ひろ子{やくしまる・ひろこ}(1981年デビュー)

◆[37]麻倉未稀{あさくら・みき}(1981年デビュー)

◆[38]中森明菜{なかもり・あきな}(1982年デビュー)

◆[39]小泉今日子{こいずみ・きょうこ}(1982年デビュー)

◆[40]掘ちえみ{ほり・ちえみ}(1982年デビュー)

◆[41]松本伊代{まつもと・いよ}(1982年デビュー)

◆[42]石川秀美{いしかわ・ひでみ}(1982年デビュー)

◆[43]富田靖子{とみた・やすこ}(1983年デビュー)

◆[44]飯島真理{いいじま・まり}(1983年デビュー)

◆[45]早見優{はやみ・ゆう}(1982年デビュー)

◆[46]菊池桃子{きくち・ももこ}(1984年デビュー)

◆[47]沢口靖子{さわぐち・やすこ}(1984年デビュー)

◆[48]岡田有希子{おかだ・ゆきこ}(1984年デビュー)

◆[49]岡村孝子{おかむら・たかこ}(1985年デビュー)

◆[50]南野陽子{みなみの・ようこ}(1985年デビュー)

◆[51]中山美穂{なかやま・みほ}(1985年デビュー)

◆[52]斉藤由貴{さいとう・ゆき}(1985年デビュー)

◆[53]浅香唯{あさか・ゆい}(1985年デビュー)

◆[54]芳本美代子{よしもと・みよこ}(1985年デビュー)

◆[55]本田美奈子{ほんだ・みなこ}(1985年デビュー)

◆[56]渡辺美里{わたなべ・みさと}(1985年デビュー)

◆[57]小比類巻かほる{こひるいまき・かほる}(1985年デビュー)

◆[58]西村知美{にしむら・ともみ}(1986年デビュー)

◆[59]渡辺美奈代{わたなべ・みなよ}(1986年デビュー)

◆[60]渡辺満里奈{わたなべ・まりな}(1986年デビュー)

◆[61]椎名恵{しいな・めぐみ}(1986年デビュー)

◆[62]今井美樹{いまい・みき}(1986年デビュー)

◆[63]石井明美{いしい・あけみ}(1986年デビュー)

◆[64]工藤静香{くどう・しずか}(1987年デビュー)

◆[65]Wink{ウィンク}(1988年デビュー)
【「鈴木早智子{すずき・さちこ}」「相田翔子{あいだ・しょうこ}」の女性二人組。】

諺に「天は二物を与えず{てんはにぶつをあたえず}」とあるように、ふつう、プロの歌手の歌唱力を持つ女性が、プロのモデル職もできるような容姿をしていることは無く、逆に、プロのモデル職ができるほどの美人が、プロの歌手のような歌唱力を持つことは無い。この女性たちは、奇跡的な存在だ。

一部の歌手は、「歌唱力」と「容姿」に加えて、他にも、「踊りもプロ級」という女性もいるし、自分で作詞をしたり、あるいは、作曲をする者もいる。

これら以外にも、「ロックバンドのボーカル」とか、「演歌歌手」も加えると、『美人歌手』は、まだ、いたのであり、もはやここまで来ると、日本国の芸能界は、『女体盛り [Nyotaimori(世界共通語)]』の状態だった。

ところが、これらの女性たちは、どういう訳か、デビューしてから数年間で、突然、辞めてしまうので、音楽会社が困惑していたのである。音楽会社としては、『ドル箱』の存在である。だから、『顔が似ていて、歌がうまい女性』を見つけて、前の女性の顔と同じになるように化粧をさせ、しゃべり方も真似をさせて、そのまま、同じ芸名で、歌わせていたのである。

確かに、その女性たちは、歌が下手だというわけではない。TV視聴者が気が付かないわけだから、ある程度の歌唱力はある。しかし、それまでの女性たちのような大ヒットはできなかった。

非常に不思議なことは、大ヒットしたときの作詞家や作曲家と同じ人物が、それらの『替え玉 [stand-in]』の女性歌手の曲を担当しているのに、ヒットできなかったことだ。この辺りの事情は、筆者も知らない。

これらの美人歌手たちは、昭和から平成に年号が変わった1989年から、突然、一斉に、消えていった。だから、『1989年(平成元年)』というのは、日本国の芸能界にとっては、悪夢の年である。

しかし、それまでは、TVの視聴率も凄かったし、レコード盤の売り上げも凄かった。有線放送のリクエストも多かった。

沢田研二は、1980年頃まで、絶大な人気を保っていた。1980年代になると、これらの美人歌手たちの活躍が目立った。その時期に、日本全国から、『変な奴ら [unusual-persons]』が、『縁故 [personal connections]』 【=いわゆる『コネ』のこと。】 を駆使して、芸能界に集まってきたのである。

TVの中で、芸能人になって欲しいような表情をしているわりには、実際は、芸能関係者が筆者の自宅の周辺に住みついて、四日市市民に変装して、警察を味方に付けて、ケンカをしていたわけだ。そして、遂には、警察が動いて精神病院に強制入院である。つまり、内心は、気に食わなかったわけだ。

こうやって、ゴタゴタやっているうちに、美人歌手たちは、シラけて辞めてしまう。そのあと、1990年代に入ってからは、音楽会社は、『顔と声の似た女性』と、『大ヒットした曲のときと同じ作曲家や作詞家』で、切り抜けようとしたが、もはや、1980年代のような、大ヒットはできなかった。

1990年代にも、ときどき、大ヒットをするような美人歌手が出現したが、その女性たちも、デビューして数年間で、すぐに辞めてしまう。そして、また、音楽会社は、顔と声の似た女性で、切り抜けようとする。

さすがの沢田研二も、40歳を超えてくると、若い女性たちから、キャーキャー騒がれることも無くなった。「若い頃、ザ・タイガーズや、沢田研二の曲を聞いて騒いでいた女性たち」は、引き続き、ファンとして応援を続けていたが、それらの女性たちの娘である、新しい世代の若い女性たちが、沢田研二を応援するようなことは無くなった。

今の若い人たちは、昭和時代の芸能界の盛り上がり方は、知らないだろう。あなたがたの父や母から聞けばいい。今のような音楽ファンとは、雰囲気が、ぜんぜん違っていた。

昭和時代の芸能人たちは、『プロフェッショナル』だった。

若い頃の沢田研二を見れば、日本国の芸能界の大混乱は、理解できる。そして、現在の日本国の多くの男性芸能人の存在感が吹き飛ぶ。存在感を維持できるのは、『GLAY』とか、そのレベルの歌手たちだけだろう。

沢田研二は、

「これこそが、芸能人だ。」

そういう感じがする人だ。

諺に、「百聞は一見に如かず{ひゃくぶんはいっけんにしかず}」という。「100人から聞いた知識は、自分の目で1回見た経験よりも劣る」という意味だ。

『若い頃の沢田研二』を見れば、日本国の芸能界の大混乱の謎が解ける。

『「危険なふたり」や「追憶」や「時の過ぎゆくままに」を歌っているときの、若い頃の沢田研二』を見れば、どうして、筆者が、女性からモテるのかという謎が解けるし、また、どうして、『若い女性にモテない男たち』が、筆者を異常に憎むのか、謎が解ける。

つまり、この論文の『趣旨(しゅし) [gist]』 【「主旨」とも書く。】 は、こうだ。

@『若い女性にモテない男たち』は、沢田研二のような男性に対しては、「一緒に仕事をして、自分も女性たちからモテたい」と考える。

Aところが、筆者の場合、『若い女性にモテない男たち』は、特に理由もなく、殴りたくなってくるだけであり、「一緒に仕事をしたい」とは思わない。それは、『「危険なふたり」「追憶」「時の過ぎゆくままに」を歌っているときの、若い頃の沢田研二』を見れば、なんとなく、想像できる。

一番いいのは、今、日本人のすべての若者の中で、『若い頃の沢田研二』のような容姿と歌唱力を持っている人物が見つかることだろう。日本国だけでなく、アメリカ合衆国や韓国や、他の国でも、人気が出るだろう。

この論文で、重要な要点は、

「この方法は、歴史上の人物の謎の解明に応用できる。」

ということである。それは、解明しようとする歴史上の人物が、「男性」の場合でも可能であり、また、「女性」の場合でも、可能である。

ただ「肖像画に顔が似ている人物を見つけたり、コンピューター・グラフィックス(CG)で再現する」というだけでなく、「性格」や「趣味」などの条件も加えるのだ。それらの謎が解明できれば、歴史上の出来事に対して、「この人物は、この状況では、こうしたはずだ」とか、正確な推理ができるようになる。

いま生きている有名人も、歴史上の人物も、『容姿』が重要なのではない。重要なのは『精神』である。小説や映画でも、そこまで描き切ることは難しい。しかし、それができるならば、その小説や映画そのものが、歴史に残るような芸術作品としての評価を受けるだろう。

「肖像画」や「写真」や「CG」では、『容姿』を描くことはできても、『精神』は描けない。しかし、『映画』は、それを可能にする。技術としては非常に高度な技術を必要とするが、映画監督によっては、それを可能にするだろう。

歴史上の人物が「こう発言した」「こう行動した」という記録に関しても、その人物の精神を解明できれば、その発言や行動の趣旨も、解明できるわけだ。

最後に一つ、付け加えると、沢田研二は、『容姿』だけでなく、『声』も筆者に似ている。ただし、『性格』は、まったく違うようだ。沢田研二は、あまり周囲の人間とケンカをするようなことはなく、常に自分の歌の仕事のことで、「どうしたらファンを喜ばせることができるか?」と、悩んでいたようだ。日本最高のスターだったわりには、自信家では無かった。

『容姿』に関しては、全体的に筆者に似ていて、髪型や衣装によっては、「本人ではないのか?」と勘違いするくらいに似ている。

ジュリーは、今年、68歳だ。CDは、死後も売れ続けるだろう。遺産相続権に関する遺書は、きちんと書いて、残しておくべきだ。

ハリウッド俳優も、DVDやBD(ブルーレイ・ディスク)は、死後も売れ続ける。今は、そういう時代に成りつつある。

ジュリーは、『神々の住む天国』でも歌手になるのだろうか?



JULIE
SOLOMON



YouTube
15 VIDEO / TOTAL 00:58:22 (58min)


@ザ・タイガース『シーサイド・バウンド』(発売:1967年5月) /
『ヘロス・スポンジ』(発売日不明) /
『お前は魔法使い』(発売日不明)
【YouTube】
ジュリー詰め合わせ
<VIDEO 00:08:38> [配信 2011/11/03]


A沢田研二『危険なふたり』(6枚目シングル / 発売:1973年4月) /
『時の過ぎゆくままに』(14枚目シングル / 発売:1975年8月)
【YouTube】
沢田研二 危険なふたり/時の過ぎゆくままに
<VIDEO 00:04:49> [配信 2015/05/22]


B沢田研二『追憶』(10枚目シングル / 発売:1974年7月)
【YouTube】
[中譯歌詞] 沢田研二 - 追憶(1974) Kenji Sawada "Nina"
<VIDEO 00:02:53> [配信 2012/02/05]


C石野真子『狼なんか怖くない』(1枚目シングル / 発売:1978年3月)
【YouTube】
石野真子 狼なんか怖くない (1978) 2
<VIDEO 00:03:06> [配信 2016/05/18]


D沢田研二『ダーリング』(23枚目シングル / 発売:1978年5月)
【YouTube】
沢田研二・ダーリング 1978.5.21R
<VIDEO 00:04:19> [配信 2015/07/29]


E石野真子『プリティー・プリティー』(5枚目シングル / 発売:1979年4月)
【YouTube】
石野真子 プリティー・プリティー
<VIDEO 00:02:33> [配信 2016/09/02]


F沢田研二『勝手にしやがれ』(19枚目シングル / 発売:1977年5月)
【YouTube】
沢田研二 勝手にしやがれ (1977) 2
<VIDEO 00:05:26> [配信 2016/05/06]


G石野真子『失恋記念日』(3枚目シングル / 発売:1978年10月)
【YouTube】
石野真子 失恋記念日 (1978) 3
<VIDEO 00:01:43> [配信 2015/07/22]


H沢田研二『サムライ』(22枚目シングル / 発売:1978年1月)
【YouTube】
沢田研二 サムライ 1978.1.21R
<VIDEO 00:05:43> [配信 2015/07/28]


I石野真子『ワンダー・ブギ』(6枚目シングル / 発売:1979年7月)
【YouTube】
ワンダーブギ 石野真子 ミニスカ
<VIDEO 00:01:53> [配信 2010/05/03]


J沢田研二『時の過ぎゆくままに』(A参照)
【YouTube】
沢田研二 時の過ぎゆくままに
<VIDEO 00:03:31> [配信 2016/04/26]
【筆者が調べたら、映像は1975年12月。沢田研二は撮影時27歳。筆者はその頃12歳。】


K石野真子『ジュリーがライバル』(7枚目シングル / 発売:1979年9月)
【YouTube】
石野真子 ジュリーがライバル (1979) 3
<VIDEO 00:01:42> [配信 2015/07/22]


Lザ・ドリフターズのTV番組『ドリフ大爆笑』
(1977年〜1997年、90分番組、月1回放送)
【YouTube】
ドリフ けんと研二の大逆転 歌手と付き人 志村けん 沢田研二
<VIDEO 00:03:01> [配信 2015/10/25]


Mザ・ドリフターズのTV番組:『8時だヨ!全員集合』
(1969年〜1985年、60分番組、週1回放送)
【YouTube】
コント 真子・聖子
<VIDEO 00:04:32> [配信 2016/08/27]


N石野真子『狼なんか怖くない』(C参照) / 『ジュリーがライバル』(K参照)
【YouTube】
石野真子 J POP 青春の'80
<VIDEO 00:04:33> [配信 2011/10/12]
【筆者が調べたら、映像は、2011年5月。つまり、石野真子は、撮影時50歳。】




参考文献


【ウィキペディア】
沢田研二★(英語あり)


【ウィキペディア】
石野真子★(英語あり)


【コトバンク】
傾国(ケイコク)


【ウィキペディア】
グループ・サウンズ★(英語あり)


【故事ことわざ辞典】
天は二物を与えず


【Wikipedia】
Nyotaimori★(日本語あり)


【故事ことわざ辞典】
百聞は一見に如かず



----- 終 -----






ADMIN MEMO


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09.21.1510-1610 /// 1840-1940 ||| 09.21.2000 UP |||